KAISPO
  • Home
  • MLB
  • NPB
  • Ichiro Suzuki
  • 高校野球
  • About
  • Home
  • MLB
  • NPB
  • Ichiro Suzuki
  • 高校野球
  • About
Search by typing & pressing enter

YOUR CART

高校野球「銀傘の陰から」

3/25/2017 0 Comments

第89回選抜高等学校野球大会 2017年春

第7日2回戦「若人の夢、球春到来!」第7章

【第89回春センバツ】大会第7日-2017年3月26日
ベストをかけた2回戦3試合が行われた大会第7日。雨中の甲子園で試合は熾烈を極め、2試合が延長15回引き分け再試合となる歴史的な日となった。一日に2試合が引き分けとなるのは春夏通じて史上初。
画像
第1試合:報徳学園(兵庫)4-0前橋育英(群馬)
報徳学園、エース西垣の完封で、09年以来の8強へ!
前橋育英は、昨夏に続く2季連続となる6年ぶり12回目の出場。昨秋は群馬大会優勝、関東大会準決勝進出。6年前は初戦敗退。昨夏甲子園経験者が5人残り、安定した守りから試合をつくるスタイルが今年のチームも健在。ベスト8をかけた今日の報徳学園との一戦は相手エースの西垣君の前に散発4安打の完封負け。初回に4失点以降は両校無得点。初回の攻防が全てだった。何をやっても上手くいかない試合もある。しかし、全国クラスの投手を経験して、夏を見据える。

第2試合:福岡大大濠(福岡)1-1滋賀学園(滋賀)(延長15回引き分け)
初めてのベスト8を目指す福岡大大濠と2年連続のベスト8を目指す滋賀学園との一戦は延長15回引き分け再試合となった。試合は初回、滋賀学園が4番武井君の中前適時打で1点を先制。福岡大大濠は8回に4番東君の中前適時打で同点とし、試合は1-1のまま延長戦へ。延長に入っても両校投手陣が踏ん張り、15回を終えた。再試合は大会第9日に行われる。選抜での引き分け再試合は、第86回大会(2014年)2回戦で広島新庄と桐生第一の試合(1-1)以来。前回は翌日の再試合で桐生第一が4-0で勝ち8強入りを決めている。
第3試合:健大高崎(群馬)7-7工大福井(福井)(延長15回引き分け)
試合は健大高崎が優位に進めたが、9回表、工大福井は山岸君の二塁打で1点を勝ち越した。しかしその裏、健大高崎も得意の機動力を活かし重盗で1点を取り、7-7で延長戦に突入した。延長戦に入ってからは悪天候の中、両チームがピンチとチャンスを繰り返す中で、両投手陣が決定打を与えず、15回まで無得点に抑え、引き分けた。
【日程の変更】
第2試合が引き分け再試合となった後、福岡大大濠‐滋賀学園の試合は明日の第4試合に予定されたが、第3試合も引き分けたことで、改めて日程の変更が発表された。本日引き分けた2試合は明後日に組まれ、休養日はなくなる。
 
日程は次の通り。
 
大会第8日(2017年3月27日)(予定通り)
2回戦
09:00第1試合:秀岳館(熊本)‐作新学院(栃木)
11:30第2試合:東海大福岡(福岡)-早稲田実(東京)
14:00第3試合:静岡(静岡)-大阪桐蔭(大阪)
 
大会第9日(2017年3月28日)
2回戦(再試合)
11:00第1試合:福岡大大濠(大阪)-滋賀学園(滋賀)
13:30第2試合:健大高崎(群馬)‐工大福井(福井)
 
大会第10日(2017年3月29日)
準々決勝
08:30第1試合:履正社(大阪)‐盛岡大付(岩手)
11:00第2試合:報徳学園(兵庫)‐(福岡大大濠-滋賀学園の勝者)
13:30第3試合:(健大高崎‐工大福井の勝者)‐(秀岳館‐作新学院の勝者)
16:00第4試合:(東海大福岡‐早稲田実の勝者)‐(静岡‐大阪桐蔭の勝者)
 
大会11日(2017年3月30日)
準決勝
11:00第1試合
13:30第2試合
 
大会第12日(2017年3月31日)
優勝戦(決勝)
12:30開始
【人に歴史あり】
今日、8強入りを決めた報徳学園。強豪の歴史の1ページを担った元球児の記事を紹介したい。元報徳学園のエース、近田玲央さん(26)。甲子園で何度も見た印象深い投手の1人だ。上背はさほどなかったが、重心が安定していて、3年の夏には腕のしなりも加わって、急速以上の重い球がきていた。報徳学園を経て、プロ野球ソフトバンクに入団。いろいろあったんだなと。野球の怪我は経験した者でないとその辛さはわからない。僕の時代もまだ肩、肘痛いは、気持ちの問題という空気があった。気持ちで治るのなら簡単だ。痛み、精神的な辛さ、焦り、怪我でミリ単位で狂う身体のバランス。野球は複雑なスポーツだ。次元は違えど痛い程、理解できる。近田さんには、素晴らしい野球の経験を活かし、セカンドキャリアを歩んでほしい。

https://www.kobe-np.co.jp/news/sports/201703/0010033848.shtml

以下、記事抜粋。

 
選抜高校野球大会2回戦を26日に控える兵庫県の報徳学園(西宮市)。10年前、同校の左腕エースとして甲子園のマウンドに立った近田怜王(ちかだ・れお)さん(26)=西宮市=が、JR三ノ宮駅の駅員として新しい人生を歩んでいる。チームメートとともに白球を追い掛けた3年間を「いいことも悪いことも凝縮された、人生のターニングポイント」と懐かしむ。
 
 「点字ブロックの内側にお下がりください」。三ノ宮駅のホームに、近田さんの声が響く。
 
 マイクを持つのは、右手。「投げるのも打つのも左ですけど、マイクはなぜか違うんです」と笑う。
 
 外国人観光客から英語で質問されたり、車いすの乗客を介助したり、酔客に対応したり。兵庫県内最大のターミナル駅での日々はめまぐるしいが、「怒られても感謝されても、全てが新鮮ですね」。
 
 区切りを付けて1年余りがたった野球人生。鮮烈なスポットライトに照らされたのは、報徳学園の1年生エースとして臨んだ2006年秋の近畿大会だった。
 
 31回2/3を投げて2失点という圧倒的な成績で5年ぶりの優勝に導く。直球の伸びがとにかく良かった。
 
 強力打線の大阪桐蔭(大阪)に対した決勝では、今春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表でも活躍した中田翔選手に本塁打を浴びた以外は3塁を踏ませずに完投。「高校屈指の左腕」の呼称を得たこの試合を、近田さんは今、こう振り返る。
 
 「野球人生のベストゲームでした」
 
    ◆
 
 三田市出身。小学2年で野球を始め、三田リトルシニアに所属した中学時代は、日本代表の主戦投手として世界大会を経験した。
 
 報徳学園に入学直後は、体重が13キロ減るなど環境の変化に苦しんだが、秋になると実力を発揮する。140キロ台後半の直球とチェンジアップを武器に近畿大会を制し、翌春の選抜では優勝候補の一角に挙げられたが、初戦で惜敗。「打たれる気は全くしなかったんですが、気の緩みがあったんでしょうね」
 
 夏の選手権でも、県予選を勝ち抜いて甲子園の切符をつかむものの、風邪が完治しないまま臨んだ初戦で脱水症状により降板。チームも敗れた。
 
 その3日後、始動したばかりの新チームの練習。ランニングの最中に突然意識を失い、救急搬送された。直前の昼食でカレーライスを食べた記憶だけが残っている。
 
 疲れがたまっていたのだろうと1カ月ほど静養して練習に復帰。5メートルほどの距離でキャッチボールを始めたところ、たたきつけるように相手の足元にボールが転がった。
 
 仕切り直して、もう1球。同じ軌道で、また低めへ。「コントロールやフォームがどうこういう状況ではなく、赤ちゃんが初めて投げるような感じでした」と振り返る。心身の不調からくる運動障害「イップス」だった。
 
 練習でボールに触れない日々が続く。表向きは「体調不良」。あせり、思い悩む近田さんをチームメートは優しく見守り、「近田が打たれても、おれたちがカバーするから」と声を掛けてくれた。
 
 理想の投球を追い求めることに見切りを付けた。「思い通りに投げられない」と感じると、症状が悪化してコントロールが乱れるためだ。「まあ、いいや」と開き直ることで、少しずつ調子が戻っていった。
 
 3年生の最後の夏、3度目の甲子園に出場。3試合を勝ち抜いてベスト8まで進出し、健在をアピールする。08年秋のドラフト会議でソフトバンクが3位指名。だが、近田さんにイップスが治った感覚はなかったという。
 
    ◆
 
 「早く1軍のマウンドに」「できれば先発で」「奪三振王になりたい」
 
 幼い頃からの夢だったプロ野球選手。マスコミの取材に対し、思いつくままに目標を掲げたが、コーチの問い掛けに、答えが見つからなかった。
 
 「具体的に、どんなピッチングをしたいんだ」
 
 練習でも、戸惑った。例えば、自分で目標を設定してのダッシュ。与えられたメニューをこなすことだけを繰り返してきたため、どうすればいいのか分からない。
 
 描いていた夢が、プロで活躍することではなく、プロに入ることだったと気付いた。
 
 制球難も克服できず、4年目の12年夏に野手に転向。「クビを覚悟していたからです。将来、指導者になった時のことを考えて経験を積んでおこうと」。その年の秋、1軍出場を果たせないまま戦力外通告を受けた。
 
 投手として参加した12球団合同トライアウトでも声が掛からなかった。誘いがあったJR西日本に入り、社会人野球の選手として2年半ほどプレー。「プロに戻れる力がない」と判断し、25歳でユニホームを脱いだ。
 
 現役引退後、痛む体を診察してもらうと、右膝は半月板が損傷し、投球を支えてきた左肩は、関節唇がはがれ落ちていた。今はもう、手首のスナップでしかボールを投げられない。限界だった。
 
    ◆
 
 「しんどいこともありますけど、働く場所がある喜びの方が大きいですね」
 
 15年12月から三ノ宮駅で勤務する。野球選手から鉄道マンという転身にも、戸惑いはなかった。
 
 ソフトバンクから戦力外通告を受けた後、実家に1カ月ほどこもった経験が影響しているという。何もやることがなく、昼のテレビドラマを毎日見る生活。野球ができなくなるつらさ以上に、仕事がないつらさを実感した。
 
 今でも、野球かばんを抱えた高校球児が乗り降りするのを見ると、自身の3年間をふと思い出すことがある。だが、それはほんの一瞬。すぐに切り替え、周囲に気を配る。
 
 JR西に入ったのは、尼崎JR脱線事故で活動を休止していた硬式野球部が再開するタイミング。事故を起こした企業で働く意味は、自分なりに理解しているつもりだ。
 
 「体を張ってでも乗客を守るのが今の仕事。鉄道の安全に、野球選手の肩書は関係ないですから」(小川 晶)
 
抜粋終わる。
切なき球運、決めなければならない勝者と敗者!
Kaispo2017!!
⚾️KAISPO❗️
歴史、伝統、そして夢をつないで89回目‼️
KAISPO高校野球 『銀傘の陰から』
https://profile.ameba.jp/ameba/kaispobaseball
KAISPO高校野球  twitter
https://twitter.com/kaispo818
0 Comments



Leave a Reply.

    Author

    Hidefumi Kai

    Archives

    March 2020
    February 2020
    January 2020
    November 2019
    August 2019
    July 2019
    April 2019
    March 2019
    July 2018
    April 2018
    March 2018
    August 2017
    July 2017
    March 2017
    August 2016
    July 2016
    June 2016
    March 2009
    January 2009
    November 2008
    October 2008
    August 2008
    April 2008
    March 2008
    August 2007
    April 2007
    March 2007

    Categories

    All

    RSS Feed

Proudly powered by Weebly
                                              Copyright ©️2004-2020 Hidefumi Kai All Rights Reserved