3/23/2019 0 Comments Thank you, ICHIRO 第2章『2018年5月からの誇り高き特別な時間』【⚾️ IchiRoadto50 💫】No.406
Thank you, ICHIRO 第2章 2019.3.22 『2018年5月からの誇り高き特別な時間』 https://www.facebook.com/181294025847171/posts/345510779425494?sfns=mo 2017年11月にマーリンズからフリーエージェントになったイチロー選手にマリナーズがオファーしたのは翌年2018年3月だった。野手の故障が相次いでいたマリナーズのGMがイチロー選手にオファーし、ようやく6年ぶりにシアトルへの復帰が決まった。故障が多いのならイチロー選手のコンディション造りは大いにチームにプラスである。しかし正式契約は3月7日。春季キャンプ途中からの加入であり、イチロー選手にとっては調整の難しい中での古巣復帰となった。 心配された調整は難航した。オープン戦で安打は出ないままながら、開幕からスタメン出場。シーズンに入っても打撃は振るわない中、当時レフトのレギュラーだったギャメルの怪我からの復帰に合わせて、5月2日のアスレチックス戦(当時セーフコ・フィールド)を最後に公式戦から離れ、会長付き特別補佐に就任した。チームへの帯同や練習は許されるものの、試合出場はできないという立場だ。この報道を米国メディアのサイトで日本時間の未明に知った。詳細がわからないものの、2018年シーズンの公式戦は出場できないことは確定のようだった。事実上、これは引退としか受け止められなかった。その晩は涙が溢れて一睡もできなかった。あまりに突然過ぎて、反論の機会を与えられない冤罪を受けたような衝動に駆られた。 なぜなら、このアスレチックス戦後に、不振を極めるイチロー選手の打撃フォームを分析した投稿をブログにあげるつもりでいたからだ。しかし、特別補佐就任報道が先に出てしまった。悔しかったがその後でも投稿は行った。体の開きが早く、外角球が当てるだけになっていたというフォームの解析である。それを矯正するだけで調子は変わったのではないかと今でも思っている。ただ、このフォームを今まで引きずってしまっていたように思う。今季も外角攻めで凡退を繰り返していた。修正すればまだいけるのではないかとこの瞬間も信じている自分がまだいるのだ。 シアトルへの復帰からの打撃不振で、地元メディアは引退勧告とも取れる厳しいバッシングを続けてきた。そんな中での昨日(2019年3月21日)までの時間。翌年(2019年)のレギュラー奪還に向けて、モチベーションを維持し、これまでのトレーニングを変わらずに継続してきた。でも試合には出場できない。練習はみんなとやるが、試合になるとクラブハウスに引き上げる。勝てば、誰よりも早くグランドに飛び出し、チームメイトを笑顔で迎える。昨シーズンはそれが定番になった。彼にとってそれは並大抵の精神状態ではなかっただろう。日米のプロ野球をみてもそんな期間を1年近く過ごした選手は彼以外にはいないだろう。こういう強靭な精神的土台がある事をこの1年で魅せてくれたのだ。偉大な記録ホルダーにとってはどう形容される時間なのかわからないが、この事実を毎日、ブログを通して認識していた私にとっても誇り高き特別な時間だった。私も高校時代に投手で肘の故障で投げられない数ヶ月の間、筋トレとランニングだけの練習を送った辛い経験がある。しかし怪我ではないイチロー選手のそれとはやはり違う側面もあるだろう。生み出されるべきメジャー通算3,090本目のヒットは過去のどんなヒットや記録よりも格別な意味をもつものだったに違いない。 つづく HIDE(KAISPO) ⚾️ #KAISPO❗️; Facebook “#IchiRoad to 50 to be continued” https://www.facebook.com/IchiRoad-to-50-by-Kaispo-181294025847171/ Instagram; https://www.instagram.com/baseball_innovation/ Twitter; https://twitter.com/AsukeSIR Tumblr; https://www.tumblr.com/blog/kaispo-com
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AuthorHidefumi Kai Archives
September 2022
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