KAISPO BASEBALL INNOVATION
  • Home
  • MLB
    • 2022 Season
    • Prospect
  • NPB
  • U18
    • U18/Japanese High School Baseball
  • Ichiro Suzuki
  • About
  • Home
  • MLB
    • 2022 Season
    • Prospect
  • NPB
  • U18
    • U18/Japanese High School Baseball
  • Ichiro Suzuki
  • About
Search by typing & pressing enter

YOUR CART

Ichiro Suzuki 
​


​IchiRoad to 50

3/27/2019 0 Comments

Thank you, ICHIRO 第6章

『イチロー選手を尊敬する理由 Vol.2 ー努力の非努力化と常識への疑いー』

画像
【⚾️ IchiRoadto50 💫】No.410
Thank you, ICHIRO 第6章 2019.3.22
『イチロー選手を尊敬する理由 Vol.2 ー努力の非努力化と常識への疑いー』


ではイチロー選手である。私が彼を尊敬する理由はヒットを打つからではない。ヒットを打ち続ける選手が好きなら、メジャー最多安打のピート・ローズを無条件に尊敬することになる。彼も稀有な選手であるが、その人間性には賛否ある人も多いだろう。自分の考えが理解されない時に、イチロー選手とは直接、間接に共通した考えが多かったからだ。だから何かを決断する時、特に周囲から理解されない時には彼の言葉は背中を押してくれる事が多かった。だから、自分の考えが理解されない時に後になってイチロー選手の言葉が自分と共通していたが為に、強く意識するようになった。記録が凄い、彼は天才だ、などと言ってファンになっている人間やタレントとは本質的に見方は違うのである


人はイチロー選手を天才と呼ぶが、私はそうは思わない。彼は努力の人である。いつのインタビューだったか、記者からの、いいところでヒット出ましたね、という類の質問に対して、「出たのではなく、(ヒットを)出したんです。出たと出すじゃ意味が全然違う」、という主旨の返事をしている。私なりの解釈だが、「出た」は偶然を意味し、「出した」は必然を意味していると思う。必然はつまり、理由である。自分がヒットをコントロールした理由がそこにはある。だから、イチロー選手の打撃には打った時も打てなかった時も常に理由が存在し、自分なりの説明ができるのだ。この打席はこういう理由でヒットにできなかったという具合に。それを修正して次のヒットを目指すのである。もし、彼が天才ならそんなプロセスを踏まずともヒットが“出せる”ことになってしまう。その修正作業のために時に遠回りもするし、無駄なこともするし、ヒットの陰に隠れた何倍もの失敗打をくりかえしていたのである。


スポーツ選手の中には、1年、2年程度、活躍する選手はいるだろう。その活躍を維持、継続できるかどうかがは、多分に才能以外の要因が関係しているのではないかと思う。仮にイチロー選手がオリックスブルーウェーブ時代の数年の活躍で引退したならば、天才という形容が相応しいのかもしれない。しかし30年近くメジャーリーグの一戦で活躍するとなると天才という言葉は相応しくないと私には感じる。努力や失敗を重ねに重ねて、いつしかそれが努力ではない当然(必然の行動=非努力化)の域に達し、それを見た(記録達成の報道を中心に見た)多くの人々は、イチロー選手を天才だとして錯覚しているのではないだろうか。


米国留学時代にイチロー選手についてプレゼンテーションをした事がある。その時の題名は「Continuity is the father of success ~ What we can learn from Ichiro Suzuki ~(継続は力なり~イチローから学ぶ事ができる事~」である。これは彼がよく口にする、「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道」という言葉を自分なりに説明したプレゼンテーションだった。こういったイチロー選手の言葉はそもそも私も思っていたものが多いのだが、人と違ったことをするときには当然周囲には理解されない。そんな時、私の強いサポーターだった。最初は物事ができないのは当たり前なのだが、それを人はバカにしてくる時がある。しかし、経験上もコツコツと地道な努力を積み重ねていくことで、いつしかバカにしていた人間を遥かに超えていることが多い。最近は専門性や専門家という言葉があちこちで言われるが、努力しない専門家や経験値のない専門家も多い。コツコツ努力した素人は3ヶ月程度で自称専門家を超えるのなんてざらにある。


そして、年齢という固定観念への挑戦である。人は年齢で一括りにしてくることが多い。それは日本社会だけではなく、米国社会(メジャーリーグ)でも言えるのだろう。
昨年のマリナーズの入団記者会見で、「どうやって40代まで過ごしてきたかによって、同じ年齢でも状態が違うことは当然」と発言している。また先日3月18日の巨人とのオープン戦(東京ドーム)でライトフライを捕球して、三塁まで、イチロー選手の代名詞ともなったレーザービーム送球をして、観衆を沸かせた。そのことに触れたインタビューでは、「一緒にするなと思っています。そこまでどうやって過ごしてきたか、どうやって鍛錬してきたか、才能だけでやってきた人間とそれなりに鍛錬を重ねてきた人間と一緒にしてほしくない」と。まさにその通りである。この社会では、小学、中学、高校、大学という括りがあって、社会に出てまで、20代生、30代生、40代生という具合に括りがあると思っている人が多いように感じる。そういった人間と話すと、大抵、努力せず、世界が狭く、成長が止まっていると感じる事が多い。またその手の人物に共通しているのは自分の固定観念で人の成長機会を阻害する行為である。社会に出るということはいつ何をやるかは自分が決めるものであって、それを邪魔する権利は誰にもないのである。


イチロー選手に関して言えば、年齢という固定観念を理由に出場機会が減り始めたことが、少なくとも50歳まで現役を続けるという彼の挑戦を阻害した可能性は否定できない。先述のサッカーの三浦選手の場合、1998年のフランスワールドカップではベテラン扱いだったのだろうが、当時のメンバーで現役を続けているのは当の三浦選手(中山選手もかもしれないが)だけではないだろうか。となれば、当時の三浦選手はメンバーの誰よりも若手なのである。そんな三浦選手がフランスワールドカップに出場していれば、今なお、長きに渡り、生き字引としてのサッカー界への貢献は一層計り知れなかっただろう。長くプレーする選手は一般的な年齢層とは当然違う努力をしている。そういった見極めがスポートマネジメントにはないと言わざるを得ない。40代でのイチロー選手はそんな年齢の固定観念と戦っていたのだ。

こんな背景からイチロー選手を尊敬しているのである。


つづく
HIDE(KAISPO)
Continuity is the father of success.
https://www.facebook.com/181294025847171/posts/347111299265442?sfns=mo


⚾️ #KAISPO❗️;
Facebook “#IchiRoad to 50 to be continued” 
https://www.facebook.com/IchiRoad-to-50-by-Kaispo-181294025847171/
Instagram;
https://www.instagram.com/baseball_innovation/
Twitter;
https://twitter.com/AsukeSIR
Tumblr; 
https://www.tumblr.com/blog/kaispo-com
0 Comments



Leave a Reply.

    Author

    Hidefumi Kai

    Archives

    September 2022
    August 2022
    April 2022
    February 2020
    January 2020
    December 2019
    September 2019
    June 2019
    May 2019
    April 2019
    March 2019
    September 2018
    August 2018
    July 2018
    June 2018
    May 2018
    April 2018
    March 2018

    Categories

    All

    RSS Feed

                                   Copyright ©️2004-2022 Kaispo Baseball Innovation All Rights Reserved